お七の家焼ける
お七(1668〜1683)に関しては、井原西鶴の「好色五人女」・紀海音の「八百屋お七」など
古来いろいろ書かれ、異説が多い、お七の生家は駒込片町(本郷追分とも)で有数の八百屋であった。
天和二年(1682)十二月二十八日近くの大圓寺出火(天和の大火)でお七の家が焼けて、菩提寺の
円乗寺(門前とも)に避難した。西鶴の吉祥寺説は誤り。
”吉祥寺ぜんたいとめるはずはなし”(古川柳)
お七の放火
その避難中お七は、円乗寺の小姓山田佐兵衛(吉三郎)と恋仲になった。やがて家は再建されて自家
にもどったが、合いたい一心でつけ火をした。放火の大罪で捕らえられたお七は、天和三年三月二十九
日火あぶりの刑にされた。
お七墓
三基あるが、中央は寺の住職が供養のため建てた。右側のは寛政年中(1789〜1801)岩井半
四郎がお七を演じた縁で建立。左側は近所の人が二百七十回法要にため建てた。