ITABASHIKU TEMPLE GUIDE

板橋区のお寺・寺院を散策

東京100景・TOKYO-100

東京大仏・乗蓮寺

板橋区赤塚5−28
東武東上線下赤塚駅より徒歩25分
都営三田線西高島平駅より徒歩20分
乗蓮寺

 御本尊は阿弥陀如来。浄土宗で赤塚山慶学院(せきちょうさんけいがくいん)
と称しています。応永年間(1394~1428) に了賢無的(りょうけんむてき)が
山中村(現仲町)で人々に教化したことに始まり、後に板橋の中宿(現仲宿)に
移転したと伝えられています。
 慶長十九年(1591) に徳川家康から十石の朱印地を与えられて以来、代々の
将軍から朱印状を与えられました。また寛保三年(1743) に将軍吉宗が鷹狩り
の際に雨宿りしたのが縁となり、それ以来将軍家の鷹狩りの小休所や御膳所とな
りました。
 高速道路の建設にともなう国道十七号線の拡張工事により、昭和四十六年から
七年に歳月をかけて現在の地に移転しましたが、その際に天災戦災等の無縁仏の
供養恒久平和を祈願して青銅製の東京大仏が建立されました。
 境内には、板橋の領主板橋信濃守忠康の墓や天保飢饉供養塔、藤堂家ゆかりの
石像があります。

広目天尊像
二天門
多聞天尊像
本 堂
客殿・池
鐘楼と観音堂
手水舎
東京大仏

 この大仏さま(阿弥陀如来)は、
当山二十三世正誉隆道が昭和四十九年
八十八歳にて発願、完成まで約三年の
歳月と延べ三千五百のてによって昭和
五十二年四月に完成。
 奈良・鎌倉に次ぐ東京大仏です。

 材質   青銅(ブロンズ)製
 重量   32トン
 座高   8.2メートル(頭部3m)
 蓮座   2.3メートル
 基壇   地上2メートル、地下1m

東京大仏
閻魔堂
天保飢饉の供養塔

 天保の飢饉は、享保・天明の両飢饉と並び
江戸時代三大飢饉の一つに数えらています。
天保四年(1833) から同七年にかけて全国
的な天候不順による凶作、疫病の流行によっ
て大勢の餓死者や行路病死者(行き倒れ)が
出ました。
 幕府は、白米や銭を支給するとともに、
同八年(1837) には、新宿・品川・
千住・板橋の四宿に救助小屋を設けてその
救済に努めましたが、亡くなる者は
あとを絶ちませんでした。
 この供養塔は、当時板橋宿の中宿にあっ
た乗蓮寺の住職撮譽上人が、宿内の死者を
寺内に埋葬し、その菩提を弔うために建立
したものです。正面と左右の面には江戸中
期の浄土宗の高僧祐天上人筆の「南無阿弥
陀佛」の名号が、また台座には同八年から
十一月の間に亡くなった四百二十三人
(男三百三十三人、女四十九人、子供
四十一人)の戒名が刻まれたいます。
 昭和六十一年に板橋区の文化財(歴史
史料)に登録されました。

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