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葛飾区高砂7−13−34
山田検校墓(やまだけんぎょうはか)
山田検校墓(やまだけんぎょうはか)
江戸中期の著名箏曲家で、名は斗養一、幽○と号し本姓は三田氏で父は了任といった。母は山田氏で
あり、かつ山田松黒を師としたため山田氏を称したという。宝暦七年(1757)四月二十八日生ま
れ、幼い時盲目となり、箏を諸家に学び、のち検校の位に登り、その技は黒松を抜き、遂に新機軸を
開拓し、新曲数十曲を作った。このため貴庶を問わず争って彼の門下に集まり、関東を中心に数千人
に達したという。生田流が手事を主とし、閑雅な上方風であるのに対し、山田流は唄を主とし語り物
風であるといわれる。
文化十四年(1817)四月十日、六十一歳で没したが、その墓誌には有名な儒学者であり隣人の
太田錦城の文で「嗚呼世人、目明而心盲、師手師手、目盲而心明」とある。
東京都教育委員会



