TOKYO TEMPLE GUIDE・東京寺院ガイド・葛飾区・浄光寺(木根川薬師)
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木根川薬師(きねがわやくし)

浄光寺(じょうこうじ)

葛飾区東四つ木一丁目五番九号・天台宗

木下(根)川薬師

 当寺は天台宗に属し都内で最も由緒ある古い寺院で、その創立は貞観三年(860)
三月と伝えられている。本尊薬師如来は伝教大師の作といわれ、むかしから「きね川
薬師」として世に知られている。
 応永年間(1394〜1427)の兵火のため焼失したが、僧別当証円が法燈の絶
えるを悲しみ、領主奥津家定に願い出て再び薬師堂を建てた。以来関東屈折の古い寺
院として、一千年の法燈を伝え天正十九年(1591)徳川氏薬師供料として五石御
朱印を賜り、ながくその祈願所とされた。江戸名所の一つとして文人墨客のおとずれ
るもの多く、堂舎改築当時の盛観を物語る多くの寺宝が保存されている。

木造金剛力士立像

 浄光寺は大正八年(1919)に荒川放水路開削のため現地に移転しましたが、
旧地の仁王門にあった金剛力士像は、その際破損したまま保存されてきました。平成
七年十一月に三年の月日を経て修復が完了し、実に七十年ぶりに再び仁王門に安置さ
れました。
 何本かのヒノキを寄せて作る「寄木造」で、ガラスの「玉眼」が埋め込まれていま
す。胎内(胸の内側)に墨書銘があり、江戸時代前半の寛文三年(1663)に浄光
寺僧侶忠辨(ちゅべん)が願主、名主大塚六右衛門が惣檀那(そうだんな)となり、
京都七条の仏師五代目兵部藤芳が制作したことがわかります。その後正徳四年(17
14)には江戸の仏師による修理もあります。
 金剛力士像は仁王門に立ち寺を守護する役目があり、仁王像ともいいます。向かっ
て口を開く「阿形」(あぎょう)、左が口を閉じる「吽形」(うんぎょう)(ともに
現像高は275cm)で、怒りを顔にあらわし、全身にに力がみなぎっています。

阿 形
吽 形
山田顕義「風折烏帽子」(かざおりえぼうし)・加藤ひな子の碑

 明治政府の高官で明治22年(1889)日本
大学の前身である日本法律学校を創立した山田顕
義と、わが国の女優の育成と演劇会のため幾多の
功績を残した加藤ひな子との親交を伝える碑です。
 山田の作詞である小唄「風折烏帽子」の碑(中
央)は、同25年に死去した山田を偲び、ひな子
によって建てられたもので、「空斎山田伯遺墨建
設者」の碑(右)には各界名士の名が連ねられて
います。
 のちひな子は、帝國劇場女優育成所副所長とな
りましたが、同42年演劇を学ぶために外遊中、ア
メリカ合衆国ボストン市において客死しました。
 加藤ひな子の碑(左)は、ひな子を顕彰し三回忌
にあたる同44年、福沢桃介、川上貞奴らが発起人
となり、財界・演劇会・門弟一同によって建てられ
ました。
 かって浄光院は現在地より北西600メートルの
ところにありましたが、荒川放水路の開削に伴い大
正8年(1919)現在地に移転、山田ひな子の碑
は分離されていましたが、日本大学創立100周年
を記念して昭和63年(1988)春、旧状に復さ
れたものです。