寺院散策・寺院散歩・寺院探訪
東京・江東区・清澄の寺院・寺を歩く
浄土宗
江東区清澄3−4−23
呂一官の墓
仁木三岳の墓・琴の大家
由来
本誓寺は浄土宗で、当知山重願院と号します。文亀元年(1501)小田原(神奈川県)に創建され、天正
十八年(1590)小田原落城の際に焼失し、江戸桜田に移り、文禄四年(1595)幕府より八重洲河岸
に寺地を拝領し再興しました。慶長十一年(1606)馬喰町に転じ、明暦三年(1657)、天和二年(
1682)二度の大火に見舞われ、天和三年(1683)現在地に移りました。
墓地には、江戸中期の歌人でもあり、国学者でもあった村田春海とその一族が眠っています。


江戸中期の国学者で歌人。日本橋小舟町の豪商村田春道の次男として延享三年(1746)に生まれた。
父春道、兄春郷とともに加茂真淵の門人で著名な国学者であった。春海は国学者としては仮名遣いや五十
音の研究に造形が深く、歌人としては加藤千蔭とともに古今調の流麗な一派を立て江戸派と称された。
門人に清水浜臣・小山田(高田)与清・岸本由流らがおり、江戸の宗匠と称せられ、従い学ぶ者が衆をな
したといわれる。
「琴後集」「歌かたり」「和学大概」など多数の著書がある。文化八年(1811)二月十三日六十六
歳で死去した。墓石には楷書で平春海先生墓とある。


呂一官は明(中国)に生まれ、日本に帰化した人である。一官は漢方医で、薬
草・香木などの研究に大変すぐれていた。はじめ京都に移住し、徳川家康の招き
で浜松へ行き、天正十八年(1590)に家康とともに江戸へうつった。
日本橋に屋敷を賜り、元和元年(1615)に屋号を「紅屋」と称し、紅・白粉
ばどを製造販売し、たちまち評判となった。同九年(1623)十月十日に没し
た。戒名は、迎誉来相信士
過去帳によると「元祖唐人辻一官」とあり、五代目から「堀氏」となっている。
文政五年(1822)堀氏十三代目の頃、近江商人外池宇兵衛の子正義が紅屋を
継いだ。これが「柳屋」の創業といわれ、現在でも柳屋業祖として祀られている。

像の石質は花崗岩で、丸堀に近い浮彫である。
横笛を吹き、甲冑をつけて立つ。口ばし有し、二臂、
二翼、三又の火炎光背をもつ。朝鮮高麗時代の作と
推定されるが、その渡米の時期などの来歴は不明で
ある。
「カルラ」はgaruda(ガルダ)の音写でインド神
話上の架空の大鳥、理想化された霊鳥である。天下
の大樹におり、龍を常食とし、羽は金色で両翼を広
げると三百三十六万里あるという。大乗仏教では、
仏教を守護する天龍八部衆の一つとされ、火害・疫
病を除き、幸福を与えるといわれる。密教であは、
娑婆世界を主宰する梵天・大自在天の神々が衆生を
救うために化身したものといい、また文殊菩薩の化
身ともいう。
この迦楼羅の信仰は南アジア諸国一般に広がって
おり、「ガルーダ・インドネシア航空」の名称もこ
れに由来している。