本塔は雲光院の開祖である阿茶局の墓塔として建てられた
ものです。宝篋印塔とは内部に「宝篋印陀羅尼」を納めるこ
とに由来する塔婆の一形式ですが、墓塔・供養塔としても建
てられるようになりました。
阿茶局は弘冶元年(1555)、武田家の家臣飯田氏の子
として生まれ、今川家の家臣神尾忠重の妻となりましたが、
忠重の死後、徳川家康の側室となりました。大坂冬の陣には
和睦の死者をつとめ、家康死後は徳川秀忠の五女和子の入内
に際し、母代として在京しました。元和九年(1623)、
従一位に叙せられ、秀忠の死後は尼となり雲光院と称し、寛
永十四年(1637)、八十三歳で没しました。
本塔は総高363.1cm、石質は安山岩です。塔身正面には「
雲光院伝従一位尼公」、左右側面には阿弥陀三尊の種子が刻まれています。また、上基礎の正面には「正誉周栄大姉 寛永
十四年 正月廿日と刻銘があります。
本塔は近世前期の宝篋印塔のよく示し、江戸幕府成立に深
く関わった人物の墓塔としても意義深く、貴重な石塔といえ
ます。