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TOKYO TEMPLE GUIDE・東京寺院ガイド・江東区・心行寺
心行寺(しんぎょうじ)

浄土宗

江東区深川2−16−7

五世鶴屋南北墓

養源院墓

工藤平助墓・工藤丈庵墓

伴伝兵衛店墓地

双修山養源院と号し、元和二年(1616)京橋八丁堀寺町に創立、開山は観智国師の高弟 光蓮社団誉
一路屋道上人、周防岩国城主 吉川監物の室 養源院殿の発願開基による。
 寛永十年(1633)現在地に移転、当時境内地は、間口四十二間奥行四十二間総坪数一七六四坪、影
窓院・正寿院の二末寺があった。
 大正十二年関東大震災の厄にかかり、昭和七年再建された、本堂・庫裡も同二十年戦災のため再度烏有
に帰した。
 現本堂は、朝香富三氏設計により奈良平安朝様式に現代風を加味し、昭和四十三年に落慶した。
 本堂両脇間に観無量寿経変相図(曼荼羅)ならびに三尊来迎図(守屋多々志画伯模写)がある。
影窓院地蔵(ようそういん)

「御府内備考続編」による
と、この石造り地蔵菩薩立
像は、当寺に影窓院と正寿
院の二つの塔頭があり、影
窓院にあったので、この呼
称がある。
 結縁地蔵として縁むすび、
願いごと成就の地蔵尊と江
戸時代から参詣の人々で多
いに振るった。

宝篋印咒塔(ほうきょういんじゅとう)
(北州塚)

 文化文政の頃江戸の名姑であった川口 直
が、その夫忠七の菩提を弔うために建てたも
のである。
 川口 直は、太田蜀山人作詞の清元「北州
」に、あの甲高い節付けをしたので有名で、
又墨田村から小梅村の境まで、独力で楓樹を
植えた。幕末の頃、その紅葉は向島の名物で
もあった。
 芸姑をやめて日本橋薬研堀に「川口」という料亭を開き、後、浅草橋に移って胡麻味噌の石焼き豆腐を呼び物にして、非常に繁昌し
た。
 夫の忠七は、「竹明」と号して笛の名手であった。

五重層石塔

 空風火水地五層の石
塔で「元享四年」の銘
がある。
 元享は1324年で、
江東区内に現存するも
ののうちで最も古い年
号を記録している。