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TOKYO TEMPLE GUIDE・東京寺院ガイド・江東区・重願寺
重願寺(じゅうがんじ)・浄土宗

江東区猿江1−11−15

関根正二(せきねしょうじ)墓
重願寺山門の由来

 重願寺の山門は、平成十二年(2000)より始まりました「重願寺開創四百年記念平成大復興」の一
環で建立されました。
 その復興計画では、寺院建築の象徴でもある「山門」建立を念願いたしておりました。
 そして、ご縁ある法相宗大本山薬師寺・安田暎胤官長の御好意を頂けることとなり、重願寺が日本橋馬喰
町に創立し、寛政七年(1795)に現在の地・猿江に移転をした同時期に薬師寺に建立された「講堂」
(教場)に使用されていた用材を頂戴いたすこととなり、今回山門の柱に、その由緒ある木材(樹齢約四百
年)を用いることとなりました。
 そこで、宮大工 牧野重義棟梁(東京足立区在住)にお願いをし、「四脚門型の山門」として平成十六年
(2004)完成いたしました。
 今回、大和の郷にあったその歴史ある建物が、牧野棟梁の手によって一本一本彫刻をほどこし、「山門」
という形で、500キロ離れた江戸(東京)の地に蘇りました。
 この山門は、重願寺の寺宝として」
末永く、檀信徒の皆さんとまた地元の皆さんと、護持していきたいと
念願しております。

                                   重願寺十八世 徹誉 旭雄代

関根正二墓

 関根正二は、若くして世を去った天才的な画家です。
明治三十二年(1899)福島県白河郡大沼村(白河
市)で九人兄弟姉妹の第四子二男として生まれました。
同四十年に関根家は正二だけを残して上京し、正二も
翌年上京して猿江に住み、東川小学校に通いました。
大正元(1912)に小学校を卒業すると、近くに住
む伊東深水の紹介で東京印刷株式会社図案部に勤め、夜
は夜間中学に通いました。翌年より、深水の勧めで画を
描き始めました。
 大正四年(1951)、十六歳の時、第二回二科展に
「死を思ふ日」を出品し入選しました。以後、毎年二科
展で認められ、第五回二科展で、「信仰の悲しみ」
「姉妹」「自画像」が入選し、樗牛賞を受賞しました。
 若手の才能ある画家として、将来を期待されましたが、
同八年(1919)六月、肺結核のため、二十一歳の若
さで亡くなりました。
 現在は、正二の姉の嫁いだ奥田家の墓に埋葬されてお
り、戒名は「覚誉道順信士」です。

関根正二画「子 供」
石橋財団 ブリヂストン美術館 蔵