日蓮宗大本山

池上本門寺

東京都大田区池上 1-1-1
本門寺公式ホームページ
扁額・本阿弥光悦の筆
池上本門寺・総門
此経難持坂(しきょうなんじざか)
本門寺の石段

 この石段は、加藤清正(1562
〜1611)の寄進によって造営された
と伝えられ、法華経」宝塔品の偈文
九六字にちなみ九六段に構
築され、別称
「此経難持坂(しきょうなんじざか)」
という。なお、元禄の頃
(1688〜
1703)に改修されているが、
造営当時の粗型を残しており、貴重な
石造遺構である。
 清正は慶長十一年(1606)の祖師堂
を寄
進建立し、寺城を整備しているので、
この石段もその頃の所産と思われる。

仁王門
大堂・祖師堂
霊寶殿
長栄堂
梵鐘(梵鐘)

 正保四年(1647)、加藤清正の息女で後に紀伊
頼宣室(夫人)となった瑤林院(1601〜66)
の寄進した梵鐘である。
 正徳四年(1714)に紀州粉河の鋳物師木村将監
藤原安成によって改鋳。その際初鋳当時の銘文が残され
縦帯の銘文は筆順に隋った籠字筋彫りであるのも珍しい。
 その雄大さと豪快重厚な作風は都内屈折といえよう。
 戦災による鐘楼の焼失で一部に亀裂と歪みを生じたが、
なお資料的価値は高い。

経  蔵

構造形式は木造、宝形造、銅板葺、方五間輪蔵形式である。
天明四年(1784)当寺三十三世日謙(1717〜90)
の時に再建された。内部は、まわり燈籠のように心柱を軸
に八角形の書架がある。また輪蔵様式の考案者、傳大士
(中国南北朝時代)の像が安置されており、昭和四十七年
敷地の都合で移築されたが、建造物は旧状のままであり、
江戸期の貴重な遺構である。

池上本門寺宝塔

 かって灰堂があったという記録がみられるが、この
宝塔は棟札(所在不明)抄により、文政十一年(18
28)十一月十三日、日蓮上人の550遠忌を記念し
前犬山城主成瀬候らを本願主として再建された。作者
は小木新七その他。その後嘉永四年(1851)に修
理されている。
 石造基壇は高い方形基壇および蓮台形台座からなる。
木造建築の軸部は平面円形でやや伏鉢状をなし、測柱
八本を円形に配し、内部には四天柱を立てている。
伏鉢部の上に十二本の測柱および八本の柱を円形に配
して上層をなしている。附の宝塔は四天柱の内に安置
され、意匠は本堂塔に類似している。
 この宝塔は富山県本法寺蔵の重要文化財絹本着色
法華曼荼羅図に見える多宝仏塔に類似しており、建設
時代は新しいが、宝塔形式の遺構としたはほとんど類
例がない

五重塔
日樹(にちじゅ)聖人の五輪塔

 この塔は本門寺内最大の五輪石塔で、総高約4メートル、
戦災による破損がいちじるしく、造立年記銘は見えないが、
上から三段目の火輪斜面に「日樹(花押)」の署名が刻ま
れている。したがって、本塔は、日樹が不受不施事件で信
州に流される寛永七年(1630)より前の造立である。
 しかも、地輪をはじめ、塔の全面に数百名の奉加者の名
を刻みつけてあることは、日樹とその信者層、ひいては江
戸初期の池上本門寺外護者の実態と、不受不施史研究上、
極めて有力名資料である。

加藤清正室の層塔

この塔は、江戸時代初期に造立された軒の
美しい層塔である。現在では相輪も失われ、
八層を残すのみとなっている。初層塔
身の銘文によれば、寛永三年(1626)
に十一層の石塔として建てられた。
 加藤清正(1562〜1611)の室
(夫人)であり、清正の嫡男忠広(1601
〜53)の母である正応院が生前に自分のた
めに仏事をおさめ、死後の冥福を祈るという
逆修供養のために建てたものである。本門寺
十五代日樹が開眼している。初層の塔身に
追刻されている慶安
(1650)の銘は
正応院の命日である。

前田利家室の層塔

 この塔は前田利家の側室、寿福院が、
元和八年(1622)に、自身の逆修供養の
ために建てた十一層の層塔である。このこ
とは当寺十五世(復歴)日樹の銘文でわかる。
寿福院は、三代加賀藩主、利常の生母
で、秀吉没後、徳川家との微妙な臣従関係
を解決するために、江戸に差し出され、
人質となった。現在相輪と上部の数層を失って、
わずか五層を残すのみである。屋蓋の
反り具合からみて様式的に古い形を示し、
注目される。なお天保四年(1833)
の修復銘もある。

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