新宿区のお寺・寺院散策

太宗寺(たいそうじ)・浄土宗

新宿区新宿2-9-2
交通の案内
 地下鉄丸の内線「新宿御苑前」より徒歩3分
本 堂
閻魔堂と銅造地蔵菩薩坐像
閻魔像(えんまぞう)

 木造で、総高は550cm。文化11年(1814)に安置されたもので、
制作もその頃と推定されます。(関東大震災で大破し、体は昭和8年に造
り直したもの)。江戸時代より「内藤新宿のお閻魔さん」として庶民の信
仰をあつめた像でかっては藪入り(1月と7月に商家の奉公人が休暇をも
らえる日)に縁日が出て振わいました。
 また、弘化4年(1847)3月5日には泥酔者が閻魔像の目を取る事
件が起こり、錦絵になるほど江戸中の評判になりました。

太宗寺の建創と内藤家

 太宗寺は、このあたりに太宗という名の僧侶が建てた草庵「太宗庵」
がその前身で、慶長元年(1596)頃にさかのぼると伝えられています。
 太宗は、次第に近在の住民の信仰をあつめ、現在の新宿御苑一帯を下
屋敷として拝領していた内藤家の信望も得、寛永6年(1629)内藤
家第五代正勝逝去の際には、葬儀一切をとりしきり、墓所もこの地に置
くことになりました。これが縁で、寛文8年(1668)六代重頼から
寺領7396坪の寄進をうけ起立したのが、現在の太宗寺です。
 内藤家は七代清枚以後は歴代当主や一族が太宗寺に葬られるようにな
り、現在も墓所が営まれています。
 また「内藤新宿のお閻魔さん」「しょうづかのばあさん」として親し
まれた閻魔大王と奪衣婆の像は、江戸庶民の信仰をあつめ、藪入りには
縁日が出て振わいました。
 現在も、毎年お盆の7月15・16には、盆踊りとともに閻魔像・奪
衣婆像の御開帳、曼荼羅・十王図・涅槃図の公開が行われています。
 なお、寺号「太宗寺」は創建時の庵主太宗の名をいただき、山号「霞
関山」は当時四谷大木戸一帯が霞ヶ関と呼ばれていたことに因み、院号
「本覚院」は内藤勝正の法名「本覚院」を拝しています。

不動堂
三日月不動像

 額の上に銀製の三日月をもつため、通称三日月不動と呼ばれる不動明王の
立像です。銅造で、像高は194cm。江戸時代の作ですが、制作年・作者など
は不明です。
 寺伝によれば、高尾山薬王院に奉納するため甲州街道を運搬中、休息のた
め立ち寄った太宗寺境内で盤石のごとく動かなくなったため、不動堂を建立
し安置したと伝えられています。

新宿 山の手七福神・布袋尊像

 新宿山の手七福神は、昭和初期に創建された
もので、太宗寺(布袋尊)・鬼王神社(恵比寿)
・永福寺(福禄寿)・厳嶋神社・抜弁天(弁財
天)・法善寺(寿老人)・経王寺(大黒天)・
善国寺(毘沙門天)

奪衣婆像(だつえばぞう)

 木造で、総高は240cm。明治3年(1870)
の作と伝えられます(昭和8年に改作の可能性あ
り)。奪衣婆は、閻魔大王に仕え、三途の川を渡
る亡者から衣服をはぎ取り軽重を計るとされ、こ
の像でも右手には亡者からはぎ取った衣が握られ
ています。また、衣をはぐところから、内藤新宿
の妓楼の商売神として信仰されました。

銅造地蔵菩薩坐像

 銅像で像高は267cm。深川の地蔵坊正元が
発願した「江戸六地蔵」の3番目として正徳
2年(1712)に造立されたもので、制作
者は神田鍋町の鋳造師太田駿河守正儀です。
 なお、像内には小型の銅造地蔵6体をはじ
め寄進者名簿などが納入されていました。
 「江戸六地蔵」各像には寄進者の名前が刻
まれており、その合計は72,000名以上
におよんでいます。

江戸六地蔵
品川寺(品川区)・東禅寺(台東区)・
真性寺(豊島区)・霊厳寺(江東区)
太宗寺(新宿区)
永代寺(江東区・地蔵は現存しない)

塩地蔵
墓所入口
甲州街道と内藤新宿
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