浄厳律師は、江戸時代の真言宗を代表する高僧の一人である。
寛永十六年(1639)河内(元大阪府)に生まれる。俗称上田氏。字は覚彦。号は雲農または妙厳、
八歳で高野山に登り、悉地院雲雪に師事して出家する。真言学を習い、諸典を修め、諸子百家の書を極める。
詩文書画も巧みであった。寛文七年(1667)当時、古代インドの文語であるサンスクリット、梵語を
解する人がいないことを憂いて、悉曇(梵寺・梵語の音声や書法の学問)の研究を手がけ「悉曇三密鈔」
「秘密真言蔵」などを著して、日本梵学史上に大きな足跡を残した。
元禄四年(1691)老中柳沢吉保の江戸の邸宅で五代将軍綱吉に謁見し、普門品(観音経)を講ず。
将軍は深く帰依し、湯島の地に霊雲寺を創建。浄厳律師を招請した。
元禄十一年、幕府よりこの地を給せられ、十一月に没後の塔院として本寺が建立された。
元禄十五年六月二十七日六十四歳で没する。