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川路聖謨(かわじとしあきら)墓

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川路聖謨(かわじとしあきら)墓

 享和元年(1801)四月二十五日、豊後国日田(現、大分県日田市)領代官の部下、内藤吉兵衛の子
として生まれた。幕臣川路光房の養子となる。幼名は弥吉または万福。通称を三左衛門・左衛門尉といい、
敬斎と号す。文政年間(1818)支配勘定出役に就任し、評定所留役・寺社奉行調役・勘定吟味役等を
歴任。ついで佐渡・奈良・大坂町奉行等を経て、嘉永五年(1852)勘定奉行兼海防掛に任じられた。
 嘉永六年、米使ペリーの浦賀、露使プチャーチンの長崎来航により、国防の急務を痛感し、江戸湾品川
沖に台場を築く。特に露使とは、応接全権となって交渉に当たり、樺太の北緯50度以南、千島列島エト
ロフ島のわが国領有を主張した。井伊直弼の大老就任により左遷されるが、文久三年(1863)、外国
奉行に起用された。のち病のため退官し、江戸開城直前の明治元年(1868)三月十五日に自害した。
「長崎日記」「下田日記」「京都日記」など、彼の日記類は貴重な史料である。