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浄土真宗大谷派 

願龍寺(がんりゅうじ)

山田宗偏墓(やまだそうへんはか)・都指定旧跡

台東区西浅草1-2-16

都指定旧跡 

山田宗偏墓(やまだそうへんはか)

 徳川初期の茶人で、宗偏流の創始者である。本姓仁科氏、のち母方の姓である山田氏を称した。
師千宗旦の譲を受けて不審庵、今日庵を継いた・のち力口斎(口は圍の古字)を号した。
 彼は父道玄とともに三河の吉田に住しのち京都鳴滝に寓居を構え、さらに江戸に移った。六歳の時
茶道を学び小堀遠州の門弟となり、正保四年(1647)千宗旦の門に入り、彼は利休茶道の奥義を
きわめた。明暦元年(1655)二十二歳の時小笠原家に仕え、宝永五年(1708)四月二日、
八十五歳で没した。著書には、「茶道便蒙抄」「茶道要録」「茶具図絵」などがある。

柳河春三(やながわしゅんさん)菩提寺

 柳河春三は、天保三年(1832)二月二十五日名古屋に生まれ、神童の誉れ高く天才ぶりを発揮、
さまざまな逸話を残している。二十五歳で江戸にでた彼は、医を業とし、蘭学はもとより英・仏・和・
漢など十一ヶ国語に精通し、著訳書も医学・薬学・理学を初め、書画・詩歌・戯作に至るまで多方面に
わたり、四十余の別号を巧みに使った。
 幕末維新における希世の知識人で、非凡の才能を駆使して外国文明の導入と普及とに努め、多大の業
績を挙げた。安政四年(1857)日本初の体系的
西洋初等数学書「洋算用法」を著す。彼自身の独創も加えた異色の書で現行の算数の始祖である。
 また、慶應三年(1867)これも日本初の雑誌「西洋雑誌」を刊行、国語教科書の先駆「うひまな
び」を編集、翌年「中外新聞」を創刊し、日本最初の新聞発行人として知られている。
 法号は光摂院殿釈護念居士。明治三年(1870)二月二十日、三十九歳で没。当願龍寺に葬られる。

                                  名古屋在住 中村祐猿識す

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