台東区の寺院散策

浄 名 院

東京都台東区上野桜木2-6-4
縁起

 昔は高重院、其後寛文六年81667)圭海大僧都開基東叡山丗六坊の浄圓院と称し、寺領二百石を賜う。
五代将軍綱吉公の母寶樹院菩提所となり、寛海和尚は養善院に転任さる。寛文十二年当山第一世妙立和尚安
楽津の新法門を唱導。之に対し山徒頻に誹謗せしが、妙立門下霊空和尚出で師説を顕揚す。
 当時日本仏法の大王輪王寺宮の大御心を動かし奉るに到り、遂に享保八年御令旨に依り安楽一派を興立し、
当山は浄名津院と改称し建立さる。又一山一ヶ寺の制を設けて、比叡山に安楽津院、東叡山に当山、日光山
に興雲津院の三院県立本山とし、徳川幕末の本宗棹尾の偉観を呈す。大明院宮、崇保院宮、随宣楽宮、御三
代法親王の御崇敬を仰ぐ。殊に崇保院宮は地蔵信仰深く自ら尊蔵を画き江戸府内寺院に賜り毎月二十四日の
縁日はそれより始まる。
 当山丗八世妙運和尚自他の人を合せ、八万四千の石地蔵尊を建立し、上は佛祖の供恩に酬い、下澆末の衆
生を救わんとして発願さるや、直ちに北白川宮能久親王殿下の拾数体奉納あり、徳川、小松、一条、近衛、
毛利等各家の奉納に倣い、各界の人之に続き建立今日に至る。
 

境内には明治初年神佛分離に際し、江戸六地蔵六番(永代寺富岡八幡宮の別当時)は廃寺となり、地蔵尊
も破壊され、以来当寺に六地蔵第六番として再造された。

八万四千体地蔵

 この寺は初め浄円寺といい、寛文六年(1666)寛永寺三十六坊に一つとして創建された。享保
八年(1723)浄名院となる。表門は享保年間(1716〜35)の建立。
 地蔵信仰の寺となったのは第三十八世地蔵比丘妙運和尚の代からである。妙運和尚は大阪に生まれ、
二十五歳で日光山星宮の常観庵にこもったとき地蔵信仰を得、一千体の石造地蔵菩薩像建立の発願を
たてた。明治九年浄名院に入り、明治十二年、左記の一千体の願ご満ちると、さらに八万四千体建立
の大誓願に進んだ。明治十八年には地蔵山総本尊を建立。各地から多数の信者が加わり、地蔵菩薩の
数は増え続けている。

 境内にある青銅製の大きな地蔵菩薩坐像は、かって江戸六地蔵第六番の地蔵菩薩像があった深川
永代寺が明治維新のとき廃寺になったためと、日露戦争の戦没者を弔うため、明治三十九年新たに
建立建立されたものである。
 なお、旧八月十五日の「へちま供養」には、せき、ぜんそくに効験を願う人々で賑わう。

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